2012年1月16日月曜日

ヒバクシャ


今日は小松市で木下黄太さんの講演会があったので行ってきました。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927

確か千葉に住んでいた4月頃に、この方のブログを読むようになって
自分や家族の健康被害が被曝の影響だと直感し
地元北陸に母子避難を決めました。

それは簡単なものではなく、放射能問題について無関心な夫へ
毎日のようになぜ危険だと思うのか情報収集しては伝え
スーパーを巡っても安全な地域の食材がどんどん入手しにくくなり
チェルノブイリ事故の被害者の低線量被曝の症状と、息子やわたし
そして夫の一見ただの風邪などと診断されやすい症状・状況の酷似について
何度も訴え、息子の健康への不安をようやく理解してもらい
家族バラバラの二重生活を決行しました。

親や親戚、友達にも似たような話を相手の反応を見ながら話してきましたが
気にしすぎでしょ…という反応の方が多かったです。

色んなジレンマがあり、まぁ考え方は人それぞれだし…と
控え目にしていたのですが、今日、木下さんから
『あなたは被曝者だから血液と尿検査をすべきです』と言ってもらえたことで
これまでの伝え方では、やはりだめだと思って本音で書きます。



まず、私が被曝者であるのは間違いない事実です。
千葉に居た4月、当時は除染すると良いという情報を信じて
家族の健康を守るため毎日水拭き掃除を徹底していました。
(どんな方法をもっても除染は不可能というのが現実だそうです)

4月末日、玄関やベランダ掃除もすべきだと知り、放射性物質は水溶性なので
何度も何度もお風呂の残り湯で汚れを流しました。
そして、スポンジでこびりついている土埃をゴシゴシ流す作業を5分ほどしたあと
両手がパンパンに腫れました。
腫れは約一週間続きました。洗剤は一切使っていません。
その後しばらくで左掌にホクロができました。

なぜか。
素手で、マスクもせずに大量の放射性物質に触れ
呼吸により吸引してしまったからです。
指先に小さな切り傷もあったので、血液にも取り込んでしまいました。

当時、除染するにも方法の確認不足だったことと、千葉の汚染度をなめていた
(土壌汚染の情報がまだなかった)ことが最大の失敗です。

この話から、放射性物質による内部被曝に詳しい方は、短時間の作業でも
私がかなりの被曝をしたことは断定できたということです。

病院では、千葉の汚染は大したことないから大丈夫だと一笑されましたが
自分で調べた情報からは、手の腫れは放射線を大量に浴びたときの
ヤケドに似た症状と確信していたので、今日、第三者からハッキリと
「被曝者」だと言って貰えてとてもすっきりしました。

今度、精密検査を受ける予定です。


さて、そんな触れるだけで危険な放射性物質は
今もなお東北首都圏~北海道、伊豆あたりまでの地帯を汚染し続けています。

測定しやすいので、主にセシウムを挙げて汚染度が言われていますが
セシウムだけではもちろんありません。
プルトニウム、ストロンチウム、アメリシウムなど、少量でも専門家が
震えるほど怖い物質があちこちにあります。
数ヶ月、数年ではなくなりません。

チェルノブイリでは25年以上経った今も汚染地の危険レベルは変わっていません。

チェルノブイリよりも危険な物質が、さらに大量に出た今回の日本の事故。
どうして危機感を持たずにいれるでしょうか。
北陸に居ても、対岸の事故では済まされません。

交通、食品・物品の流通、海や河の流れ、汚染瓦礫受け入れなどで
全国に少しずつ少しずつ拡散され続けています。

薄まれば大丈夫、時間が経ったから大丈夫というのは幻想です。
放射線ではなく、放射性物質そのものはなくならず、あちこちにバラ撒かれているだけの状況です。

大元の福島第一原発はまだ収束していません。
むしろ年末から現在まで4号機から去年の3月並の大量のセシウムが再び降下しています。
千葉の汚染度のみ発表されていて、今回も降下量がひどく多いので
測定していない首都圏一円も危険だと感じています。

福島宮城~首都圏までの範囲は、チェルノブイリのときの避難区域に匹敵する箇所が
数えきれないくらいあります。
放射能防御プロジェクトhttp://www.radiationdefense.jp/に土壌調査のデータがあるので、ぜひ確認してください。


その地で暮らし続けるとどうなるか。

すでに、チェルノブイリのときよりも早い進行速度で健康被害が確認されています。
(みんなのカルテhttps://sites.google.com/site/sos311home/linkや木下さんのブログのコメント欄にもあります)
首都圏でも突然死が様々な年代で、ここ最近多発していることをご存知ですか?
わたしの友人の友人のご家族も、20歳という若さで先日突然死されたそうです。
千葉県です。


今は初期症状の気管支炎や喘息程度で済んでいる子供達が、5年と待たず
2~3年後に肺癌や心疾患で苦しみ亡くなるケースが増える可能性を考えませんか?

それは、北陸や西日本より南に居たとしても、食品などによる内部被曝を
防ぎきれなければ、起きてしまうことでしょう。


皆さん、どうか危機感を持ってください。

特に、子供がいらっしゃる方は。
子供を思う気持ちはみんな同じだと思います。
ただ、どんな情報を目にしているか、そして危機感の違いだと思います。

避難できない理由は色々あると思います。簡単なことじゃありません。
経験したのでわかります。

でも、たくさんの理由は、わが子の命よりも大切ですか?
仕事を変えることや、一時的に母子避難で家族がバラバラになることは
精神的にも経済的にも、とても大変ですが絶対に不可能ではないはずです。

自分の子供が死にかける状況をわたしは体験しました。幸いにも311直前に。

だから、子供の健康や命に関して危機感が強かったのだと思います。
だから、避難しました。
夫を置いてでも。


それは、今逃げなければ、何年か経って子供がもしもガンになったり
突然死したときに後悔しても遅いと思ったからです。
息子のために1%でも安全な生活を選択したいと。

何かあってからでは遅いです。
周りが騒ぎ出すのを甘んじて待っていては、遅い。

子供は大人の何倍も放射能の感受性が強い。
今、守らずにいつ守ることができますか?
今、東北首都圏にいる子供達が無事に大人になることができる保証がどこにありますか?
大人になれたとして、その子供は?

東日本は、少なくとも子供が暮らしていていい場所ではないはずです。
向こう数十年、数百年という単位で。

政府も、報道も、肝心なことは教えてくれません。自分で調べなくては生き残れません。
大げさでなく、これが今の日本の状況だと思います。


どうか、危機感を持ってください。
子供達のために。

生き残る道は、西日本にはまだ残されています。


わが家は、放射能別居によって起きた色んな障害を乗り越えて
以前よりも夫婦の信頼関係が強まりました。

多分、紆余曲折を経ても価値観を共有できていたからだと思います。
家族の幸せは、健康があってこそ。
息子が笑っていてくれてこそ。

わたしは、友達や、友達の友達…子供達…とにかく皆に健康でいてほしいです。
もう、あまり時間がありません。
一日でも早く、東北首都圏に住む子供達が安全な地域に移れますように。
そう祈るばかりです。


もう一度書きます。
何かあってからでは遅い。
誰かを責めても子供の健康や命は戻りません。
すでに健康被害が起こり始めている今、どうか気づいてください。

子供達が大好きな公園には、わたしの手を腫れ上がらせた物質が
今もたくさん落ちています。
そこで遊ばせることは何を意味すると思いますか?


大人は放射能の危険性について個々人が学び
子供達を守っていかなくてはならないと思います。


すでに被曝した一児の母のひとりごと、おしまい。


※血液検査の結果次第では、安全な地域で2年待てば
おそらく妊娠しても大丈夫でしょうと言ってもらえました。
もう第二子は諦めていたので、とても嬉しかったです。
これから子供が欲しい方もぜひ避難してください。
きっと今なら間に合います。

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